鄭成功は自分を延平郡王の身分とし、
年号も「南明永曆」と改称しました。
そして新港溪(今の塩水渓)を境界線とし、
北側は天興県(今の台南佳里鎮)、
南側は万年県(今台南県仁徳郷)としたのです。
食料不足のため、現在の嘉南・高屏平原に、兵士を派遣し開拓に乗り出しました。
したがって、現在台湾にはさまざまな地名にまだこの時代のものが残されています。
台湾南の高雄の近辺の観光名地である
左営
前鎮
柳営
などが存在している例です。
しかし、1662年、鄭成功は39歳の若さでなくなります。
彼の息子「鄭経」は続いて台湾を経営していますが、
その後、鄭経は大陸の廈門(アモイ)に残った最後の部隊を台湾へ撤退させ、
自分は「東寧王」として君臨しました。
そして、東の都の名は「東寧」に改称されました。
その当時、イギリス人は彼を「The King of Tyawan」と称しました。
2010年1月25日 02:38 |個別ページ
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