2009年11月

台湾高山族のつづき6

最後に、

撒奇莱雅部族

を紹介しましょう。

この部族は長らく阿美部族と混合されていました。

現在、台湾東部の花蓮県に分布しています。

外部の記録では、17世紀のスペインの文献に

この部族の記録が残っているとされています。

1878年に、撒奇莱雅部族が清王朝の統治に反抗した

「加礼宛事件」

が発生しました。

清の報復を恐れた撒奇莱雅部族は、

台湾原住民族最大の人口を持つ阿美部族の村に逃げ込んだのです。

阿美部族は彼らを保護、支援して匿っていました。

撒奇莱雅部族は長らく阿美部族と共存していたのですが、

阿美部族とは異なる言語体系がありました。

撒奇莱雅語はかつては阿美語の撒奇莱雅部族方言とされてきたのですが、

この二つは意思の疎通が出来ないほどの違いがあることがわかったのです。

彼らは独自の民族意識を持ち続けました。

台湾で原住民族の意思と権利を尊重するべきとの意識が高まり、

これまで独立した民族と認められてこなかった部族も認めようという動きがあり、

一連の独立運動の流れに影響されて

撒奇莱雅部族の中でも

独立した民族として認定するよう要請する運動が始まり、

2007年1月17日

民進党政権のもと、

正式に阿美部族とは別の原住民族の一つとして認められたのです。

Posted by histo | 2009年11月27日 00:00 |

台湾高山族のつづき5

今回紹介するのは

太魯閣部族

です。

太魯閣は片仮名で「タロコ」。

花蓮へ旅行へ行った方はこの名を見たことがあるかもしれません。

この部族は、台湾の東部の花蓮県の北部

秀林郷
卓渓郷

を中心に分布しています。

元々、台湾中部の南投県の仁愛郷に居住していましたが、

17世紀に部族の人口増加と

漢民族の入植者の増大による耕地不足により、花蓮地域に移動しました。

戦前、日本植民地時代では泰雅部族の支族とされていました。

その分類は、戦後も引き継がれたのですが、

2004年1月14日に民進党政権のもと、

独自の民族としての認可を受け、

台湾における12番目の原住民とされたのです。

現在推定人口は約18,000人から23,000人です。

農耕、採集、狩猟を中心とした生活を送っています。

父系小家族社会であり世襲の頭目が村落を取りまとめています。

現在ではこのような風習はなくなりましたが、

この部族は口元・ほほなどに入れ墨を入れています。

今でも高齢の部族民はその入れ墨がうっすらと黒く残っています。

Posted by histo | 2009年11月25日 23:51 |

台湾高山族のつづき4

続いて、

卑南部族

達悟部族

について紹介します。

以前までの分類では、ここで終わっていたのですが、

新たに分類できることが確認され、あともう二つ増えました。


まず、卑南部族について。

この部族は「卑南溪」の南端に主に分布しているのでこの名がついています。

台湾の東部の「知本溪」の北側の海岸地域や

台東県の卑南に分散しています。

知本」といえば、

台東で有名な温泉の名前が、

「知本温泉」です。

東部には有名な温泉地が何箇所かあるのですが、

ここはその中でもかなり有名な場所です。

この部族の推定人口は約1万人で、居住地域は8箇所となっています。


つづいて、達悟部族(雅美部族)について。

この部族は卑南の東の方向にある台湾の離島に居住しています。

太平洋で各諸孤島なる紅頭嶼、緑嶼島です。

緑嶼島はかつて火焼島とも呼ばれていました。

この島は、台湾の歴史において

元々殺人犯や政治犯の拘留刑務所があった場所で、

台湾の悪魔島と呼ばれていました。

現在台湾の原子力発電所の核廃棄物の所蔵庫でもあります。

推定人口は3千人です。

Posted by histo | 2009年11月23日 23:44 |

台湾高山族のつづき3

つづいて、

排灣部族

阿美部族

について紹介します。


まず、排灣部族について。

この部族は、

北の「大武山」の山岳地域から、

南の最南端の屏東県の恆春まで分散しています。

同時に西の隘寮・枋寮から、

東の「太麻里」の南端海岸の岬まで分布しています。

居住地域には、魯凱部族と同様、

現在台湾最南端の屏東県の

三地
霧台
瑪家
泰武
來義
春日
獅子
牡丹

などの地域、また台湾の東部の台東県の

金山
達仁
太麻里

などの地域に分布しています。

人口は推定約8万4千人、居住地域は約60箇所もあります。


つづいて、阿美部族について。

台湾の原住民の中で、人口が一番多い部族です。

アミ族」という名前でご存知の方も多いかもしれません。

彼らの先祖は最初に

台湾東部の峡谷地域や平野の南北両端にまでいました。

台湾で有名な渓谷である「秀姑巒溪口」と

台湾最南端の恆春地域にも分散しています。

その後、政府は台湾東部の台東県海岸地域に

新たな11箇所の居住地域を設定し、

そして花蓮県の「秀姑巒溪」及び海岸に12箇所の村を設置しました。

推定人口は約17万人で、居住地域は109箇所あります。

Posted by histo | 2009年11月21日 23:41 |

台湾高山族のつづき2

続いて、

鄒部族

魯凱部族

について紹介します。

まず、鄒部族について。

この部族は 中世紀から従来台湾の中南部地域に広く分散し居住しています。

その後他の部族の移住や居住地域の占領により、

居住範囲はどんどん縮小してしまいました。

この部族は現在南北に分けられ、

北部は

台湾の観光地「阿里山」を中心として、曾文溪上流と陳有蘭溪の左側の楠子脚地域に、

南部には

淡水溪の上流、荖濃溪と楠梓溪流域まで

となっており、海拔500~2000㍍の間に分散しています。

現在台湾の南の嘉義県の吳鳳
中部の南投県の信義
南部の高雄県の雅爾、瑪雅

などにも居住しています。

人口は約7千人で、18か所に分散しています。


つづいて、魯凱部族について。

この部族は

「阿里山」の南側、
「大武山」の北側の山岳地帯、
台湾中部の「濁水溪」、「隘寮溪」及び「大南溪」流域

に分散しています。

海拔500~2000㍍の間で分布しており、

現在台湾の最南端の

屏東県の三地、霧台にも、
高雄県の多納、及び
台湾の東部の台東県の卑南、大南

などにも居住しています。

推定人口は約1万1千人で、20箇所の居住地域にいます。

Posted by histo | 2009年11月18日 23:37 |

台湾高山族のつづき1

泰雅族に続いて、

賽夏部族

布農部族

について紹介します。

まず、賽夏部族について。

この部族の先祖は台湾の大霸尖山脈の山奥に居住していました。

そして現在の

大湖
苗栗県

周辺に移動し、さらに、

台湾の観光名所である

阿里山
五峰

周辺の地域へ移住し、約海拔1000㍍の地域で暮らしています。

この部族は北と南に分けられ、

現在台湾の五峰鄉大隘村には北賽夏部族、

南庄地域周辺には南賽夏部族がいます。

部族人数はおよそ7千人ほどです。


その次は布農部族です。

17世紀時期ごろ、彼らは中央山脈の西側の地域に住んでいました。

18世紀以後、居住範囲を徐々に、

現在の台中県地域、

さらに台湾最南端の屏東県地域

へ拡大しました。

台湾原住民部族の中でも居住地域を一番拡大した部族といわれています。

同時に、彼らは海拔500~3000㍍の間で暮らせる、

つまり、平地の暮らしだけではなく、高地にも対応できる部族なのです。

現在約六十箇所の居住区があり、人口は約4万9千人と推定されています。

Posted by histo | 2009年11月16日 23:34 |

凱達格蘭部族の歴史

平埔族の中の一つの部族である

凱達格蘭部族(Ketagalan)

は台湾の北部

台北
淡水
基隆
桃園地域

に分布し、特に台北盆地を中心として暮らしています。

過去この部族の祖先は、台湾東部の岬

三貂角
(これはスペイン語の「サンディエゴ」の当て字で、美しいという意味)

に登陸したことがわかっています。

過去には台湾の東北蘭陽平野(現在の台湾の宜蘭や花蓮北部)の

噶瑪蘭部族

と親密関係をもっていました。

また漢民族との通婚により同化されました。

この部族がすでに確認することは出来なくなっています。

淡水河
基隆河
新店河

など境界線に、台湾北部の宜蘭地域にいる

多羅美遠部族(Torobiawan)
巴賽部族(Basay)
雷朗部族(Luilang)

と離れています。

今、台北市内には沢山の地名に凱達格蘭族語の音譯が残っています。

例えば、

台北で有名な円山ホテル(グランドホテル)の近辺の大龍峒
台北近郊の温泉区北投
淡水方面の唭哩岸・八里・秀朗
有名の観光地艋舺観音寺

などです。

全部凱達格蘭族が暮らしている地域なのです。

今は凱達格蘭族は確認できませんが、

同化された彼らの子孫はそこに暮らしているはずです。

Posted by histo | 2009年11月14日 23:30 |

DNAで見る「台湾人」

台湾人のDNA鑑定は、

台湾の馬偕医院輸血医学研究室の林媽利医師によるもので

2007年11月18日の「自由時報」紙に研究成果が発表されました。

それによれば、

最も多数を占める客家、閩南のグループは

その85%がDNA構成に原住民の血統を持っているということでした。

また同医師が日本赤十字社の資金援助を得て、

東京大学人類遺伝子研究所などと共同研究を行った結果、

大陸からの移民の子孫とされる前記の2グループは、

原住民のDNAを持つばかりでなく、

大陸の人種の遺伝子も中国北方の漢民族とは異なり、

ベトナム人、タイ人、中国の少数民族であるプイ族

と同系であることがわかったのです。

この科学的成果を裏づけたのが統計学者の沈建徳博士の研究です。

沈博士はあらゆる史料や文献に基づいて、

17世紀のオランダ領有以降の人口
人口の自然増加
耕地面積
税収
政令

などを検証。

この300年間に居住していた人々の生活実態を検証したわけです。

その結果、1995年時点で人口約2100万人のうち

77.4%が原住民
16.8%が原住民と閩南人との混血
戦後渡ってきた外省人は5.8%

だったのです。

すなわち94.2%が原住民およびその混血の子孫だというわけで、

中国の元国家主席江沢民の言う

「台湾の原住民は2%」

という主張と正反対なのです。

Posted by histo | 2009年11月12日 03:26 |

泰雅部族

原住民の紹介が始まってすぐ前回まで

台湾人が混血であるというという事実で

台湾人には統一した「台湾人」というアイデンティティーがないことを

お伝えしたかったのですが、

この事については長くなるので原住民紹介の後に語りたいと思います。

この事実を挟んだことで、

原住民を知ることの重要性を分かっていただけたかと思います。

次に紹介するのは台湾で人口が多い原住民部族の一つ

泰雅部族

です。

約300年前、

この部族の祖先は台湾中部にある一番の大河川

濁水渓流の地域に居住していました。

18世紀中期から台湾の東へ移動しはじめ、

そして台湾の紹興酒の名産地、

埔里の山岳地帯に独占し、

そして濁水渓流域を含め、

台湾中部の沿岸地帯、
北港
大甲
大安
木瓜
など渓流地域に居住しました。

それはつまり

海抜300メートルから2000メートルの範囲に分布していることになります。

そして一部は

台北近郊の温泉名勝地、

烏来へも移住しました。

1975年の人口調査によって、

台湾の

桃園県
苗栗県
台中県
南投県
花蓮県
宜蘭県

など十一箇所、約120の原住民地域に分散していることが判明し、

現在この部族の人口数は約6万人です。

Posted by histo | 2009年11月10日 03:28 |

混血児である台湾人

台湾人自身が混血児という事実を今日まで認めず、

また自分は中国人や日本人といい続けてきたことには、

根深い原因

がありました。

中国や日本の社会には混血に対して偏見と差別行為があり、

混血に対して、国や社会はそれを批判する慣習や行動をとってきたのです。

このような影響により、台湾人は社会に生きるため、

ずっと自己否定を続けてきたわけです。

ではなぜ、台湾社会には

「台湾の母があり、台湾の父がいない」という現象が起きたのか。

それを知るには、

台湾が外からの移民に支配される頃にまでさかのぼらないといけません。

簡単にいえば外来の侵略者は台湾に上陸して、

当地の女性を相手にして子供を残し、

そして台湾を消え去ることが多かったからです。

その時生まれた子供たちは偏見や差別にあってきました。

実際ほとんどの台湾人は血の中に原住民と外来民族の血をもっています。

言い換えれば、「台湾人」という人種は純血な人種ではないのです。

これは李登輝元総統が司馬遼太郎にいった

「台湾人として生まれた悲劇」

の本当の心情なのです。

自分は混血児であるという恥を含む表現でした。

自分が日本人なのか、中国人なのかもはっきりできない状態ながら、

彼は政権を離れる前に台湾人に呼びかけて

「台湾正名」運動を引き起こしましたが、アイデンティティ未確定のため

この運動は失敗に終わりました。

Posted by histo | 2009年11月 7日 23:12 |

台湾人の正体 その3

今日台湾は民主化を推進してきましたが、

日本や中国という外来政権の文化の洗脳により、

李登輝政権になっても、陳水扁政権になっても、

自分が中国人(中華民国国民)ということで政権を維持してきました。

現馬英九政権はさらに台湾と中国との統一を目指しています。

実はこれには根深い原因があります。

昔から、台湾人とは母だけの存在であるだけで、父の存在がいないため、

いつも苛められたことがそれです。

台湾人は自分が混血児という悪いイメージを避けるため、

自分が日本人とか中国人とか、それをいいわけにしてきたのです。

ちなみに、実際に台湾人は、混血児であるという事実は存在しています。

台湾人は自分自身でそれを認めるしかないのです。

詳しくは以降話しますが、台湾人のDNAの検証が行われ、

そのほとんどが原住民のDNAを占めていたことがわかったのです。

つまり台湾人は

原住民と外来民族と混血した子孫

であることが確認されたわけです。

Posted by histo | 2009年11月 5日 23:09 |

台湾人の正体 その2

では次に戦後を見てみましょう。

アメリカが中国政策を誤り、蒋介石の独裁政権を台湾に上陸させました。

台湾の居住民たちは今まで統治していた日本人から

突然やってきた中国人に強要されたのです。

したがって、今日の台湾人はすぐに

台湾人」と認める人は非常に少ないです。

例えば、戦前の日本語教育を受けた人は、

今でも自分を日本人と認識しています。

台湾旅行中、

お年寄りから流暢な日本語で話しかけられたことがある人は少なくないでしょう。

しかし、そんな彼らはなぜ日本から捨てられたのか、

その理由はよく分からないまま今日まで生きてきました。

また戦後に生まれた人は、自分は中国人と教えられ、

自分は中国人という認識しかない、といってもいいかもしれません。

また、現在台湾人はいまだ「中華民国(中国)国民」の身分になっています。

ある意味では蒋介石から残された政権を認め、

自分が台湾人であることをずっと否定してきたのです。

Posted by histo | 2009年11月 3日 23:02 |

台湾人の正体 その1

ほかの原住民の紹介に入る前に

前回平埔族について話したときに出てきたことわざがありました。

これは現在の台湾社会でも代々伝えられているものです。

台湾の母はあり、台湾の父はいない

実は、この諺は言葉だけのものではなく、

今日の台湾に居住している台湾人自身ですら、

自分は誰(何人)ですかと聞かれたときにも、混乱が起こります。

なぜならば、長期に渡った外来政権の統制により、

台湾にもともと住んでいる人々(原住民)は

自分の歴史やルーツなどを抹殺されたからです。

これは原住民だけではありません。

戦前の日本植民地時代という一時代だけを見ても、

当時の台湾人というのは日本統治前から大陸から移民してきた者もいました。

植民地となったことで、彼らは独自の言語や文化を禁じられて、

そして日本政府による皇民化政策により、名前さえ変更されました。

また天皇の皇民という日本人であると認識しなければならなかったのです。

この複雑な「台湾人」という正体について次回にも続きます。

Posted by histo | 2009年11月 1日 22:57 |

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