2009年9月

台湾の波乱万丈な運命 鄭氏政権編

前回は中世ヨーロッパの大繁栄に伴う

「台湾」の幕開けをたどりました。

その後1628年

清国は明国の将軍"鄭芝龍"を降伏させました。

鄭芝龍

という人物は、当時日本の海賊と深い関係をもち、

台湾海峡の日本海賊組織に援助し、

貿易船を略奪することを容認していました。

加えて当時の東シナ海の英雄でした。

彼の妻は長崎の人で、

その間に生まれた彼の息子がかの有名な

鄭成功(国姓爺)

なんです。

彼はこの父親と違い、明国最後の武将でありつづけ、

清国に投降せず、反清復明の旗を揚げ、

清国と戦い続けました。

が、結局清国に破れ、明国は滅ぼされ、

彼は台湾へ退去しました。

実は彼はオランダのお陰で、台湾を手に入れたんです。

鄭成功が台湾上陸以前、

1642年オランダ人はスペイン人を台湾から追放し、

1650年オランダはProvintia城

現在台湾の観光名所 台湾台南市内の赤崁楼を建てたんです。

1652年に郭懐という台湾人が

オランダ軍と戦いましたが取り返すことはできませんでした。

そして1662年

鄭成功が台湾へ渡ったときに、占領していたオランダ軍と衝突。

結果、オランダ軍を撃退したんです。

そして台湾を本拠地として、台湾を運営し始めました。

鄭成功がオランダ軍を撃破し、

オランダは台湾を離れましたが、

そのたった 五ヶ月後

鄭成功が亡くなりました。

その後、彼の息子 鄭経 が後継となり、

台湾の名称を変え、台湾は

東寧

という国名になりました。

しかしこの政権も長く続かず、

わずか22年で鄭氏政権が崩壊したのです。

Posted by histo | 2009年9月28日 10:16 |

台湾の波乱万丈な運命 中世編

1544年

ポルトガル が東シナ海上に島を発見し、

Ila Formosaという地名をつけた。

その五十年後、

日本戦国時代の武将、豐臣秀吉が

使者を当時"高山国"と呼ばれた台湾へ派遣し、献上物を求めたが、

結局高山国の王は存在しなかった。

1624年

オランダ軍が現在の台湾の南部に上陸し占領した。

上陸の場所は鯤身(現在台湾の台南 安平地域)であり、

その海岸に沿って要塞を建て始め、

それが1632年に完成。

その要塞名はオランダ語Zeelandiaと称する。

現在台湾の人が安平古堡と呼ぶところで、

日本ではゼーランディア城という名前でも知られている。

1626年

スペイン軍が台湾の北部、現在の基隆に上陸し、

1628年

台湾北部の淡水地域にも上陸し、

それぞれに軍事要塞を建てた。

今でもその跡は見ることができる。

つまり

台湾の南部地域はオランダの占領地

台湾北部はスペインの占領地

になった。

まず、ここまでが、

中世ヨーロッパの大航海時代に影響されていた台湾の過去です。

次回は、

その後どうやってアジアの一部になったのか

たどっていきたいと思います。

Posted by histo | 2009年9月26日 17:21 |

台湾は日本の領土?つづき

前回の話には、実は続きがあるんです。

それは、


なぜ、アメリカは蒋介石に台湾の管轄権を譲ったのか


という疑問。


その当時アメリカは

日本の資産家、企業財閥、貴族及び天皇の個人財産を没収しました。

その中には天皇が個人で所有していた財産の一部(黄金券)があったんです。

それを蒋介石や宋美齢一族が条件として買わされたのです。

つまり

当時中国で汚職した金で黄金券を現金化する

これが蒋介石を台湾へ上陸する条件だったんです。

そしてこれが、

当時マッカーサー元帥が解任された本当の理由ではないだろうか。

と私は踏んでいます。

日本の政治家たちは自国の領土について再認識しなければいけないでしょう。


最近は台湾の観光局が力を入れているせいか、

「台湾」を以前よりも目にする機会が多くなりました。

10年前はタイと台湾の違いも分からなかった人が普通にいましたし(苦笑)

しかし日本の領土である台湾について

いったいどれくらいの人が認識しているのか、

私は時々この現状を歯がゆく思います。

Posted by histo | 2009年9月22日 11:09 |

台湾は日本の領土?

明治28年(西暦1895年)

当時の大清帝国が

「台湾は我々が管轄する領域ではない」

という主張により、大清帝国は日清戦争の敗戦責任を負わないために、

当時の台湾は大清帝国の管轄下ではない

「法治外領域」

であるという主張しました。

その時の台湾に対する認識は

鳥が卵を生めない場所

その地の男性は強盗や泥棒ばかりで、女性は娼婦ばかり

というものでした。

したがって、下関条約で日本の領土と認めたのです。

戦後日本の敗戦により、アメリカの圧力で、日本は台湾の管轄を放棄しました。

1945年以降は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発した

一般命令第1号に基づき台湾へ進駐したが、アメリカの同意により、

毛沢東の共産軍に破れた蒋介石の国民党が、台湾へ逃げ込み、

今の台湾(中華民国)ができあがったのです。

明治台湾の総督府(現在の総統府)

総統府.jpg

Posted by histo | 2009年9月20日 22:59 |

はじめまして

はじめまして。

私はこのブログを書くことになったみきです。

このブログでは、大まかに「台湾」について書いていきたいと思っています。

別のブログでは「中国」についても書くつもりです(まだ書き始めなのでお待ちください)

以下はそのブログアドレスです。

http://www.misono172.jp/china/

もし興味がある方はそちらものぞいてみてくださいね。

私は10年ほど前から、中国・台湾へ何度も行き

ビジネスや文化を通していろいろ見てきました。

特に台湾は縁あって、中国よりも長く付き合いのある場所になっています。

私なりの中国・台湾に対する見方をお伝えできたらいいなと考えています。

Posted by histo | 2009年9月18日 00:53 |

test

test

Posted by histo | 2009年9月13日 09:15 |

Movable Type 4 へようこそ!

このブログ記事は、Movable Type 4のインストール完了時に、システムによって自動的に作成されたブログ記事です。 新しくなったMT4の管理画面で、早速ブログを更新してみましょう。

Posted by his | 2009年9月13日 08:12 | | コメント (1)

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